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作業所で廃棄作業 [鎌倉つれづれ文]

私達が生活するうえで、必ず出るのが廃棄物です。
その処分方法は、以前は焼却処分で済ませていましたが、現在は有害物質の排出規制のため処分に苦慮しています。
特に、家電製品などのゴミ処理には手間がかかると言われています。
その為、小型家電リサイクル法という法律が施行されています。
この法律は、携帯電話やデジタルカメラなどのリサイクルを推進することが目的ですが、まだまだ一般市民には認知度が低いようです。
そして、小型家電の多くが、回収されずに埋め立てられている事実があります。
これら精密機械の中には、金、銀などの希少金属、そしてパラジウムなどのレアメタ
ルが僅かですが取れると言われます。
そのことから、別名「都市の鉱山」と呼ぶひともいます。
他方、小型家電リサイクルを福祉と結び付けるモデル事業が神奈川県から始まりました。
小型家電は、基本的に市町村が回収して、リサイクル事業者に引き渡されます。
それを引き渡す時に、丁寧に部品別、金属別に分別がされていれば、再利用される希少金属の量が増えると言う訳です。
そしてその分解分別の部分を福祉事業所が担おうとする試みが始まっています。
現在神奈川県の伊勢原市がその事業を行っています。
このモデル事業に手を上げた理由について、伊勢原市環境美化センター所長のタカナシヨシフサさんは、次のように話ます。
「家電を回収して、破砕機で圧縮粉砕をして、一部再資源化をしていたのですけれど、大部分が埋め立て処分されている実情がありました。
そこで、これらの家電を細かく分解することで、より再資源化が計られることは、法律の主旨にも沿い、障碍者の方に担ってもらうことは良い発想ではないかと考えています。」と話ます。
この作業を実施している神奈川県伊勢原市の地域作業所「ドリーム」は、知的障碍者の方が利用している施設。
もちろん「ドリーム」でも他の作業をしていますが、受注している作業には景気による波があるそうです。
ドリームの所長、トヨダマキコ氏は、「繁忙期は、納期を急かされるのに対し、逆に仕事の無い時期は、利用者さんが暇を持て余してしまうので、この分別の作業が手もちぶさたの時期を埋めてもらい、且つ工賃ももらえるので、うちとしては、助かっています。」と作業に対する意気込みを話ます。
家電分別の依頼は、月に携帯電話やゲーム機など何十点かの小型家電があるそうです。
この仕事が僅かですが工賃アップにも結び付くと言います。
作業内容の内、携帯電話の分別作業を例に挙げると次のようになります。
まず携帯は、汚れをよく拭いて、電池をはずして、ネジをはずし解体をしてそれぞれのパーツに分けた後、利用者が分担して、一つの携帯が基盤、プラスチック、そして電池や液晶など15ぐらいのパーツに分ける細かい作業を流れ作業で行っていきます。
始めはメーカーごとにネジなども違い戸惑ったこともありましたが、次第に慣れてペースもあがってきたそうです。
実際に作業をしている利用者は、「始め、たくさんの種類の金属を仕訳するのは大変で戸惑いましたが、なれるにしたがいやりがいを感じるようになりました。」と話ます。
また女性の利用者も、「スピーカーのネジをはずしたり、細かい作業をすることは楽しいですし、なによりも業者の人達が困っている家電ゴミを整理することは役立つ作業だと思います。」とやりがいを感じているようです。
ドリームでは、作業に携わる利用者は、予めリサイクルについて勉強をしてから作業に取りかかるそうです。
伊勢原市障害福祉課主幹のサエキアキラ氏は、{ドリーム}の取り組みを次のように話ます。
「希少金属やレアメタルなどが日本の中で回収されて、再び新しい物に生まれ変わるということを理解してもらって、そのことが社会参加になるということで、自分達が世の中と繋がっているという気持ちが大変意義深く、私達福祉サイドにも利点になっていると思います。」とその評価は高いです。
このようにドリームの作業に、対する評価は高いが課題もあると言います。
作業を行う為には、回収する小型家電量が安定しないと作業が継続しません。
現在は、各市区町村でもゴミの出し方が改善され、分別された小型家電が集まりやすくなっているようですが、伊勢原市では、より多くの小型家電を集めるために、資源ゴミの日に職員がゴミ集積所で小型家電を選び出して回収したり、市役所や公民館に、小型家電の回収ボックスを設置して市民への協力を呼びかけて、家庭に眠ってしまいがちな携帯電話などの小型家電などを掘り起こす努力も行っています。
このモデル事業は、分解分別する福祉作業所には仕事がふえて良し、ゴミを回収する行政には回収しやすくなって良し、そして地域の環境保全にも良しと言う、三方良しの願ってもない関係になっています。
全ての作業所がこの分別作業に従事できるとは思いませんが、市町村にも作業所にも関心の高い問題だと思います。 
日本人は、元々物を大切に扱う習慣のある民族です。
それは、日本人には、「八百万の神」という言葉があるとおり、物には神が宿っていると言う考えから物を扱う際は、最後まで大切に使い切ることが美徳とされていました。
そのような日本の風土から、「足るを知る」とか「質素な生活」を重んじると言う物欲にとらわれない慎ましい言葉と考え方が生まれたのです。
それが次第に、環境問題も地球レベルで捕らえられるようになり、ポイ捨てや残飯問題、そして環境保全から果ては原子炉の廃炉問題に至るまで、広範囲な対応を求められるようになりました。
ノーベル平和賞をもらったケニアの環境運動家、ワンガリ・マータイ氏が提唱した「モッタイナイ」と言う言葉や3R(スリーアール)*などの言葉にスポットが当たるようになったのもそのためでしょう。
しかし、環境に対する問題意識が高まる一方で、ゴミの不法投棄はいっこうに無くなりません。
この行為は私達が大いに反省すべきことだと思うのですが、その要因のひとつに、日本が経済成長を遂げ、物にあふれた消費社会が物の価値観を下げているように思えます。
私達は、いつの間にか物を捨てることに、鈍感になったような気がします。
元々、廃棄物の出発点は、すべて個人が捨てるところからはじまっているのですから、少なくとも自分が物を捨てる時には、しっかりと分別回収をしたうえで、責任を持って廃棄をしたいと私は思いました。

*3Rとは、環境配慮に関する言葉で、Reduce(リデュース)、発生抑制
・Reuse(リユース)、再使用・Recycle(リサイクル)、再生利用で、これらの頭文字を取った言葉で、廃棄物の減少に努めようと言う考え方のキーワードである。
日本では、2000年(平成12年)、循環型社会形成推進基本法を取り入れ、廃棄物を削減する社会を目指した。
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初詣に行こう [鎌倉つれづれ文]

初詣.jpg2016年、平成28年申年は、皆さんにとってどのような年になるのでしょう。

大抵の方は、幸せな良い年にしたいのではないでしょうか。
そして、多くの方は初詣に既に行かれたか、行く予定があるのではないでしょうか。
ところが、行ってみると、段差や障害物が邪魔になった方も少なく無いはずです。
特に車椅子を使う障害者や、足腰の弱った高齢者の方々にとっては、悩むところです。

そんな困っている人達のために、NPO法人「チェック」が初詣のバリアフリー調査を行いました。
調査を行った代表取締役カネコ・ケンジ氏は、「私達のNPO法人では、大きなイベントのトイレマップやバリアフリーマップなどの調査を行ってきました。
しかし、日本の恒例行事である初詣は、多くの人達が集まるにも関わらず、意外と神社仏閣のバリアフリー化が進んでいないのではないかと思い、1度、東京と神奈川で良く行かれる初詣スポット50か所を調査してみようと」思ったと話します。

調査の結果は、インターネット上で公開されています。
検索キーワードは、「初詣・バリアフリー」で入力されますと、「東京都神奈川県50ヶ所初詣多機能トイレマップバリアフリー調査」と少々長い名前で出て来るそうです。
調査のポイントは、最寄駅からの行き方、車椅子やベビーカーでも利用できるスロープの有無、そして多機能トイレの設置状況などが調査され、それらを総合的に考慮して、星1つから5つまでの評価がされていると言います。

そして、残念ながら、「チェック」の調査で、スロープで賽銭箱の前まで行ける神社仏閣は、全体の2~3割だそうです。
更に、多機能トイレを設置している所は、もっと数が減ると言います。
NPO法人「チェック」のカネコ氏は、「トイレについては、現実問題として、全ての神社仏閣に設置することは、予算も敷地にも負担が大き過ぎると思うので、周辺の商業施設にトイレがあれば、そちらを案内するようにしたいです。」と話します。
また、「NPO法人『チェック』では、スマートフォン向けのアプリで、『チェックアトイレット』というものを配信して、グーグルマップなどと連携し、多機能トイレの場所を誰もが書き込めるアプリもあるので、こういうものも活用してもらえれば」と言います。車いす.png

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アクシブ歩行機 [鎌倉つれづれ文]

ハイキング.jpgTBSテレビで、歩行機に関する興味深い番組を見ました。
その番組は、世界遺産の熊野古道での体験実験から始まりました。

体験実験は、ボランティアガイドをしている60歳以上の人達に装具をつけて山道を歩いてもらい、感想を求めるものでした。
被験者の感想は、「上り坂は、とても楽に歩くことができた。」とか「いつもより足運びが軽く感じられた。」など好意的なものが多数寄せられました。
体験者の多くが「歩くのが楽になった。」と口を揃える歩行機がアクシブ。
このアクシブは、世界初の無動力歩行支援機で、重さは、わずか900gという軽さに皆驚くといいます。
この歩行支援機、「アクシブ」を開発したのは、名古屋工業大学佐野明人(サノ・アキヒト)教授です。
※佐野氏が歩行器ではなく、歩行機と表記してますので、以下歩行機と表記します。

アクシブは、股関節から膝につながるバネの伸び縮みで足を振りだすことを利用した単純な構造でできているのですが、それ以上に大きな成果をあげています。
77歳の女性も、「誰かに助けてもらったように楽に上り坂を登れました。」と山をグングンとかけ上がりました。

この歩行機には、佐野教授が歩くことに培った、30年間の研究成果が活かされています。
佐野教授の研究室には、歩く研究に絶対に欠かせない、自然に歩き出す鉄製の自立型ロボットが置かれています。
教授が手をはなすと、そのロボットが歩き出します。
教授は、「このロボットの一部分を体に装着したものが歩行支援機になります。
ロボットも人間も、歩く仕組みは同じだと思うのですが、人間は、その仕組みを上手に自分の歩きに使っているのだと考えています。」と説明します。
しかし、なぜ人は二足歩行ができるのか、その歩く原理はいまだ解明されていません。
研究室では、学生とロボットが散歩する姿がよく見られます。
しかも、そのロボットにスカートやズボンをはかせたり、雪道や雨のなかを歩かせたりとよそからみると奇妙でバカバカしい実験を真剣におこなっています。
これも佐野流の歩く原理の研究であり、思い立ったことの全てが研究テーマなのです。

広い視野で考えると、右足が地面に着くと左足が上がるという単純な法則が見えてきます。
例えば、坂道を転がることなく、人は一定の速度で歩くことができます。
これを分析すると歩く原理が見えて来るというのです。
前の足が着いたら、後ろの足が浮き自然に切替る、左右の足が振り子のように振りだされる、そして足を着いた時の力のバランスが取れている、佐野教授は、この原理でロボットに傾斜を歩かせ、さらに歩行支援機に応用しました。

教授は、「過去、現在、そして未来という長い時代の中で、歩く原理は不変的だと思うので、百年後の未来にも充分貢献できる研究だと思います。」とその意義を説明します。
つまり、人が歩く原理を究めれば百年後も楽しく歩けるということです。

rihabiri.gifそこで佐野教授は、ロコモティブシンドロームなどで、運動機能の低下や障害で足などが弱り、要介護となった方々と歩くリハビリをしている患者さん達に、アクシブが役に立たないかと考えたのでした。
早速、改良を加えた歩行支援機を病院のリハビリ室に運び、左半身に麻痺を抱えている加藤さんに試してもらうことになりました。
そして加藤さん(リハビリ患者)は、アクシブを足につけると、軽やかに大股で歩き始めたのです。
歩行機をつけた加藤さんは、「とても軽く感じるし、腰から自然に歩くことができました。」と喜びの表情を浮かべました。

理学療法の専門家に筋肉の波形をとってもらうと、歩行支援機を着けていない時は、筋肉に力が入りっぱなしで、常に疲れた状態なのに対し、歩行支援機を着けると力が抜けるところと入るところと波にメリハリがあり、二つを比べると足を振りだすとき、力が抜けているのが分かるので、歩行支援機を着けている方が楽に歩いていることになるのだということが分かったのです。
教授自身も、「寝たきり」になりそうな人が歩くことに感心を持つ一翼になるのならば、とても嬉しいことだと喜びます。

ここまでくるのに佐野教授は、毎日が実験と改良との繰り返しだったといいます。そもそも佐野教授がロボットに目覚めたのは、大学時代。最も難しい歩かせることに、夢中になったそうです。
動力とハイテクを駆使して歩かせようとしたが、思うようにならず万策尽きた時に、もしかして、ロボットはこんなふうには歩きたくないのではないかと思ったそうです。
たしていって複雑にしなくても、引き算のように本質的な物だけをまとめれば、たぶん簡単なことで、いろんなことができると考えたといいます。

動力もハイテクも捨てた佐野教授は、歩かせるのではなく、自分で歩くロボットの研究に、没頭しました。
毎日、学生達と汗をかきながら、ドロくさい研究を続けているうちに、ロボットを触る機会が増えた結果、ロボットから受ける感じが、足が弱った人達の体に直接伝えたら、歩行支援の助けになるのではないかと考えたといいます。

しかし、動力式のパワーアシストスーツや介護ロボットがこぞって開発される時代に、無動力歩行機は、明らかに見劣りしているので、リハビリ施設でも、頭から否定さるのではないか」と思ったといいます。
そして、思いきって持ちこんだ星成大学リハビリテーション部で、「こういうものを待っていたんです。」と目を輝かせた人が阿部友和氏でした
彼は、「佐野先生の考えのように、重心の移動によって動くというように、最小限のメカニズムによって動けるようになっているのだと思います。」と話します。

これをきっかけに、歩行の助けが必要な人達から、続々と問い合わせが入りました。
そのなかの一人、東京在中のユウスケさんは、交通事故で脊椎損傷を負って、一生車椅子生活と宣告された人物です。
しかもテレビ画面は、ユウスケさんがアクシブを装着して立って歩いている驚くべき姿を映し出していました。
ここまでくるのに、長い月日はかかりましたが、アクシブの可能性が映し出された場面でした。
この歩行支援機を着けると驚くほど体が楽になり、さらに人生まで変わったそうです。

佐野教授は、たまに歩行支援機の効果を確かめに、ユウスケさんに会いに行きます。
その日番組は、佐野教授がユウスケさんの通勤に同行する様子を写しました。
まず、バス停までの300メートル程の道を二人は、自然な速さで歩きました。
バスのステップもなんなく超え、シートに座ることもできました。
歩行支援機は、900グラムと軽量でコンパクトで邪魔にはならないのです。
そして、駅の長い階段も、問題無くスタスタ登れるといいます。
およそ一時間で会社に到着しても歩行支援機は着けたまま過ごすそうです。
モーター音が無いので、電話対応も周囲の気にもとまらないのです。

佐野教授は、「ユウスケさんにとってアクシブが、歩行のアシストから人生のアシストになっていると感じ取ることがてきました。」とその感想を述べました。

そこで佐野教授は、「歩行を助けることで、人生を支えたい。」と高齢者のための奇想天外な歩行機を作り始めたのです。
一般的な歩行機が主に腕の力で体を支えて歩くタイプなのに対し、佐野教授は広い視野から、ロボットと歩くことで、高齢者から歩く力を引き出すことに成功しました。
自然に体重移動をすると足踏みが始まり、足を振りだせるようになるというものです。

佐野教授は、岐阜県中津川市、SSP城山病院に、試作品を持ち込み、意思やリハビリのプロから意見を聞くことにしました。
佐野教授が開発したアクシブを改良した弐本足の歩行機は、実際に患者さんやスタッフも試して、歩き易いというプラスな評価もでれば、骨盤のボルトから膝にかけて安定性がほしいなどの教授が思いもよらなかった意見も聞くことができたのです。
これら全てが大切な研究対象であり、改良点となりました。
さらに、アクシブの軽量化にも挑みました。
本体の素材を炭素繊維で作り、片方で540g、両脚で1500gの軽量化に成功したのです。
この改良によって、アクシブの実用化に道がひらけたのです。
そこで、岐阜県各務原(カカミガハラ市の今仙(イマセン)技術研究所と共同で、アクシブの商品化に取り組みました。
その結果、医療、レジャー用として、日本において2014年9月9日に正式発売となり、2015年5月25日に、左右両脚用モデルが発売。
さらに、2015年9月にアジア、そして2016年9月には、欧米で販売を予定しているといいます。
アクシブの利点は、無動力による安全性、他の歩行機に比べ軽くて扱いやすい、静粛性が高いそして低コストなどが挙げられます。

しかし、このようにいいことばかりのアクシブですが、動力型ロボットスーツにも、優れた物が出てくるようになりました。
あとは利用する人達がそれぞれ自分に合った歩行機を選択する幅が広がることとそれに伴う福祉制度が整うことを願います。
チューリップ.jpg


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超やわらか食を知ってますか? [鎌倉つれづれ文]

私達の食生活は、冷凍食品やインスタント食品の登場によって大きく変わりました。
そのため、私達はおいしい物を手軽に口にすることができるようになりました。
そして最近、まったく新しい食べ物が発表され、注目されています。

その食べ物は、「超やわらか食」といいます。
食材の味と形は同じで、噛む力が弱くても舌の上で溶けるやわらかさが特徴です。
タコなど噛み切りにくい食材は、最大千分の一のやわらかさに調理できます。
そのやわらかさは、薄いパレットをのせて押すと形が崩れてしまうほどです。
しかも、肉は、肉、野菜は野菜の食感があることに食べた人は、みな驚きます。

「超やわらか食」は、二人の熱い志を持った人物によって誕生しました。
調理の開発を担当したのは、イーエヌ大塚製薬東京研究所升永博明氏(ますなが・ひろあき氏)です。
そして、食品の必要性を訴えたのは、栄養管理研究の第一人者で、藤田保険衛生大学の東口高志(ひがしぐちたかし)教授です。

酵素で作る「超やわらか食」は、離乳食や歯の治療後の患者さん、そして福祉施設の入所者への利用が期待されました。

しかしそれ以上に、この「超やわらか食」を切実に必要としている人達がいたのです。
それは、東口教授の患者さん達で、ミキサー食を食べている人達です。
ミキサー食は、一般の病院食がたべられない患者にたいして出される食事で、食材をミキサーにかけ、ドロドロにした食べ物です。

そのため、ミキサー食は、味も形もまるで別物になってしまいます。なかには、食べる気力を失う人も出てきます。噛みしめたくともドロドロのミキサー食にするしかないのです。

東口教授は、この現状を改善して、患者さんに物を食べる喜びをふたたび取り戻してもらおうと思っていました。
そして、オデンでしたらオデンの形のままで、舐めて味がわかるような食べ物が欲しいと関係者に要望したところ、誰にも相手にされずに、くやしい思いをしたといいます。

その頃、升永氏は東口教授の思いとはほど遠い、経腸栄養剤の研究をしていました。

経腸栄養剤とは、ミキサー食さえたべられない人の栄養剤で、チューブを使い、鼻などから胃や腸の中に直接栄養を流す、いわいる液体の栄養食のことをいいます。

経腸栄養剤の仕事に、誇りを持っていた升永氏でしたがある時、ミキサー食よりも食べやすく、舌の上で溶けるようなやわらかい食べ物を作れという人事移動がだされました。

これまでの実績とは関係のない分野で、始めから研究をやり直すことに、升永氏は、理不尽さとやり場のない憤慨を覚えたといいます。

そして、会社の方針に納得できないまま食べ物をやわらかくする研究を続けていました。
ちょうどその時、東口教授のミキサー食に対する切実な思いを聞いたそうです。

升永氏は、東口教授からミキサー食に苦労している患者さん達が食べているミキサー食を見せてもらい、「こういうものを食べているのか」と驚いたそうです。
そして升永氏は、自分の過ちに気づき、ミキサー食に対する考え方が一変したそうです。
さらに、これは、生半可な気持ちではできない研究だと覚悟を決めました。そこで升永氏は、今迄の経験から、酵素が鍵を握っていると考えました。人の体のなかには、無数の消化酵素があります。

唾液にはアミラーゼや胃液の中にはペプシンのように、酵素が存在し、消化を助けています。
胃や腸で消化できない場合は、野菜や果物も消化を助けてくれる心強い味方になります。

中華料理の酢豚のパイナップルや、人気のおかずであるしょうが焼きのしょうがは、タンパク質の繊維を切り、やわらかくする働きがあるのです。

ちなみに、大根には百以上の酵素が含まれており、特に大根おろしには食べ過ぎ、胃のもたれを緩和する働きがあるので、今も昔の人の知恵が生かされている例といえます。

「超やわらか食」は、消化という営みを味や形が変わる直前まで、皿のうえで事前にやっておくという考え方だと升永氏は説明します。

しかし、升永氏は、ここで壁にぶつかりました。
食材に塗った酵素が表面上だけ浸透して、中まで染み込まないのです。
しばらくして、升永氏がひらめいたのは、きゅうりの漬物。
キュウリについた塩はきゅうりの内部に入る代わりに水分を出します。kyuri.png
そこで、塩の替わりに真空状態を作ったところ、野菜の水分が泡となって出てきました。
そして、酵素をうまくしみ込ませることに成功しました。

早速、やわらかくなった試作品の試食を東口教授にしてもらったのですが、教授は、顔をしかめるばかりでした。
東口教授は、やわらかくなった食感ではなく、味付に納得できなかったのです。
そこで升永氏は、東口教授を納得させるため、日本料理店で板長を務める原さんを職員として採用しました。
原氏自身も当時、自分の料理を食べれない人がいることに、悩みを抱えていました。
披露宴や法事で、自分の料理がお年寄りが食べれないことを理由に、欠席する姿を見て、みんなが食べれる料理とはなんだろうと自問していたといいます。

そして教授に、「うまい」といわせるために、升永氏と原さんの数えきれない実験がはじまりました。
いつの間にか升永氏は味にうるさい研究者になっていたのです。

そして東口教授がついに、「うまい、満足」と納得できる試食品が誕生しました。
それは、ミキサー食に替わるやわらかくて、口の中で溶けて、しかも食材の形は、そのままという食品です。

実にこの食品ができるまで八年の年月がかかりました。
二人は、この食べ物を私は食べる(I EAT)と言う意味の「あいーと」と名付けました。illust_img_041.gif
「あいーと」はミキサー食を食べている人達に、大変喜ばれました。
例えば、三年間食事ができなかった女性は、久しぶりに物を食べて完食しました。

「口から食べることはあきらめていたのに、こういう食べ物を研究している人がいたことに、驚き、そして感謝の気持ちを表したい。」と涙を流しながら言いました。
ところが升永氏は、これだけでは満足しませんでした。

人々が食べる喜びを得てもらうまで、新しいメニューを増やすことに余念がありません。
そして、新しいメニューに考えた、「うな重」を調理して、東口教授の患者さん達に、届けたところ、口にした誰もが、「おいしい」と完食し、大好評だったそうです。
その中で、孫と一緒に食べることを楽しみにしていた、在宅療養中の鈴木さんは、久しぶりの家族との食卓に、笑顔で大満足と感想をもらしました。

病気や精神的ストレスで、物を食べられずに困っている人は、まだ大勢いるはずです。
そこで、「あいーと」が食べることに悩んでいる人達に、活力を与えることができれば、それぞれ意欲的な段階に進めるはずです。
また、「あいーと」は、新しいメニューを増やして、食べることに困っている人達に、この食べ物を普及することが、これからの課題だと思います。

全ての人がおいしく食べられることは、健康の目安であり、升永氏と東口教授の願いでもあるのです。これからの「あいーと」の広がりに、注目したいと私は思います。

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ココライフ女子部 [鎌倉つれづれ文]

ラジオの福祉番組で、珍しいフリーペーパーの話を聞きました。
「ココライフ女子部」という障害のある女性向け情報冊子です。
冊子の表紙は、「ときめく春服で恋をはじめよう」という見出しと
車椅子に座る女性が写るカラフルなもので、明るい印象を受けます。
内容は、ファッションにコスメそしてグルメや旅情報が中心で、
モデルは全員障害のある女性です。
取材や編集スタッフにも障害のある女性が参加しています。
スタッフに障害を負う彼女達が加わわることによって、健常者が気づかない
貴重な意見を提示してくれるそうです。

編集長を務める大部令絵(オオブノリエ)さんもそのひとりです。
彼女は、下垂体機能低下症というホルモンがうまく分泌されない難病をかかえています。
大部編集長は、「例えば、車椅子の女性には、膝に視線が集まりやすいので、
膝にポイントがあるようなズボンを紹介したり、両手が使えない人には、
ウエストにゴムを使用したオシャレなスカートや、かぶるタイプのワンピースなどを
提案しています。障害を持つ女性としての立場で、オシャレに関して様々な情報を提示し、障害をもつ女性達にとって有意義にはたらく冊子になればと思い、編集しています。」と話します。

冊子作りには、約20人のスタッフがいますが、障害のある女性達の活躍が目立ちます。
例えば、「車椅子で行く東京スカイツリー」という特集の時には、
骨形成不全症で車椅子生活をしている、コレナガサユリさんが取材を担当しました。
コレナガさんは、障害を抱える人ならではのエピソードを誌面に書きました。
彼女は、他のタワーでは、展望台に上がると手すりが車椅子の目線にきて、
景色が見えないことをいつも不満に思っていたそうです。
ところが、「スカイツリーでは全面ガラス張りで、素晴らしい景色を眺めることができましたよ」と書いたところ、読者からの反響が大きくてとてもうれしかったそうです。
彼女は、障害のある人達が障害という壁を越えて、ショッピングなど外出するきっかけに
この冊子が役に立てばと思いながら記事を書いているそうです。
そこで、彼女自身も編集の仕事がしたいと、デザインの学校に通い始めました。

もうひとり、アイデアグッズを担当して、上肢に障害を持つホリコシヨシエさんは、
この冊子について、「私は、ユニバーサルデザインに、強い関心を持っています。
そのため障害の有る無しに関係ない、誰もがオシャレで、使いやすく機能的なアイテムを
紹介することを心掛けています。将来は、もっと健常者にも読んでもらい、
障害のある人達の気持ちや意見を理解してもらえればと思いながら記事を書いています。」
と冊子に対する意気込みを話します。

「ココライフ女子部」は、3ヶ月に1回の間隔で発行され、リハビリセンター、病院そして学校や障害者センターなどで手に取ることができるそうです。
大部編集長は、この冊子には、まだまだ課題がありますが、もっと記事の内容や
編集設備を充実させ、この冊子をより多くの人達が手にすることで、障害のある人達の
生活の質(QOL)の向上に、つなげてもらえればと考えているそうです。

そして番組の最後は、健常者が障害のある人達に、もっと関心を持ってもらうような冊子に
育てていきたいと言う言葉で、放送は終わりました。

2020年に、オリンピックを迎える東京では、「バリアフリー化」を考慮したインフラ整備が盛んに行われていると聞きます。
もし、「バリアフリー」という言葉が一般の人に根づくのであれば、その時こそ、
健常者と障害のある人の関係が今より身近で、お互いに思いあえる良い関係を築けると
私は思います。
さらに、「ココライフ女子部」が障害のある人達をはじめ、避難所や仮設住宅で
苦労されている方々、難病で苦しんでいる患者さん達、そして心の障害に悩んでいる人達など今、社会の中で、「困っている人達」の心にも配慮したかけ橋のような冊子になれば、よりいっそうの飛躍が期待できるのではないかと私は思いました。
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体の図書室 [鎌倉つれづれ文]

TBSラジオで放送された、「病院の中にある図書室」の話に、興味を持ちました。

その図書室は、東邦大学医療センターの大森付属病院内にある「体の図書室」と言います。
なんとこの「図書室」には、医学書が置かれているのです。
室内は、1100冊もの医学書が置かれ、病気を調べたい人全員に開放しています。
パソコンで調べることも可能です。

book.gif「体の図書室」が設立されたいきさつについて、現在担当司書のオシダイクコさんは、次のように説明します。
この「体の図書室」は、2005年の4月に設立されました。
設立のきっかけは、医師の説明をもっと分かりやすくしてほしいという、不満が患者や家族から担当司書に寄せられ、その司書が図書室の必要を病院に訴えたのです。
医師の専門的で分かりづらい説明に対し、患者も病気の正確な知識を知る権利を得ることが大切だと司書は考えたのです。」と話します。

当時の医療界は、医師が患者に対して一方的に、治療をすすめる診察の仕方が普通で、医師が病気について、詳細な説明を患者にする習慣はありませんでした。
しかし、「体の図書室」が設立されようとした時代は、インフォームド・コンセント(医師が詳細な説明を患者にし、同意を得たうえで、治療をすすめる新しい考え方で、現在は納得診療とも呼ばれている)が社会に受け入れられはじめた時期だったのです。
当時の司書もこの考え方に賛同したのでしょう。
このことが「体の図書室」設立の後押しをしたと思われます。

当初は、患者が病気の専門知識を持ち診察を受けることに、戸惑いと違和感を持つ医師もいました。
しかし、医師も患者が病気の知識を持つことにより、治療がスムーズにすすめられると気づいたのか、病名の書かれたメモを受け取った患者が「図書室」を訪れる例が多くなりました。
現在、「体の図書室」は月曜日から土曜日の開館で、年間およそ5000人の利用者がいるそうです。

そのなかに、この「図書室」を最大限に利用した人がいます。
左の肝臓に癌を患った男性です。
彼は、司書が用意した医学書を徹底的に読み込みました。
その結果、癌の手術には、開腹手術と負担の軽い内視鏡手術があり、通院している病院では、内視鏡手術を多数成功させていることを知ったのです。
悩みぬいた彼は、徹底的に担当医師と話合い、内視鏡手術を受け入れることにしました。
彼との長い時間に渡る話し合いに応じた担当医師による手術は無事に成功し、今も彼は元気に暮らしています。
彼は癌に立ち向かうため、「体の図書室」に熱心に通い、得た知識を元に医師との話し合いを重ね、最善の治療を選択したのです。
つまり彼は、インフォームドコンセントという言葉が一般化する以前に、インフォームドコンセントを実現していたのです。
hospital.gif

「体の図書室」は消化器科や呼吸器科など診療科別に、細かく区分されています。
分からないことについては、医学書に詳しい司書やボランティアが探す手伝いもします。
担当のオシダさんは利用者の立場に立った、次のような配慮もしているそうです。
まず最新の情報を提供するため、古くなった医学書を廃棄して、同じ冊数の新刊書を追
加すること。
次に室内はたえずクラッシックを流し、ドリンクも飲めるようにして、利用者がリラックスできるよう落ち着いた雰囲気を維持すること。

オシダさんには、この「図書室」の利用者が病気を調べるだけでなく、病気というマイナスのイメージをプラスにかえて、前向きな決心をする場所にしてもらいたいという思いがあるからです。

番組では、これからの「体の図書室」の課題について、オシダさんに尋ねました。
オシダさんは、「ここは病気の専門図書室なので、病気そのものの資料が豊富ですが、たとえば高額医療給付などの医療福祉制度に関する資料は不足しています。
そこで、今後は社会福祉に関する資料を持っている公共図書館とネットワークをつなぐことにより、さらに有益な情報のやり取りができるようになると思います。」と答えて放送は終わりました。

library.gifこの「体の図書室」のように、病気の情報と資料をこれだけ詳しく公開している施設は、他にはないと私は思います。
しかしまだこの施設を利用していない人や、施設の存在を知らない人はきっといるはずです。
公共図書館とネットワークがつながることになれば、かえって「体の図書室」の存在が多くの人に広まり、「体の図書室」を利用する人が増えることにつながるのではないかと、私は思います。
癌患者や慢性疾患に苦しんでいる高齢者など、日本には医学情報を必要としている人が、大勢いるのですから、その人達にとって、最新の医療情報を知ることは、とても有益なはずです。
「体の図書室」の存在は、患者にも医師にも良い影響をもたらすと考えられます。
患者には、どう病気と向き合い、どの治療法を選択するかの知恵を与えてくれます。
医師には、病気について理解している患者との間で、診療法について充分に話し合う機会を与えてくれます。

つまりインフォームドコンセントが推進しやすくなる環境が生まれるのです。
医学の進歩は、新たな発見や治療法の開発で、病に苦しむ世界中の多くの患者を救う可能性を秘めています。

「からだのとしょしつ」が有効に利用され、質の高い多くの情報を人々に提供する源となることがオシダさんの願いなのだと私は思いました。
今後の「体の図書室」の発展に期待したいと思います。
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よりそいホットライン [鎌倉つれづれ文]

人には誰も、悩みごとや相談ごとがあるといいます。
その相談を受ける窓口として、注目されているのが「よりそいホットライン」です。
よりそいホットラインはどんな相談でもよりそって聴きますよ、という電話相談です。
昨年3月、厚生労働省の支援で東日本大震災の被災者のケアを目的に、24時間無料で応じる社会的包摂(ほうせつ)サポートセンターとして、よりそいホットラインはスタートしました。
 社会的包摂とは、多様化している現代社会で、生活困難者が地域社会から切り離されたり、排除されそうな場合、安心できる場所を提供し、その次の支援につなげようとする運動です。
よりそいホットラインが24時間無料で電話相談を受け付けたところ、一日になんと2万から3万件もの電話がよせられました。
この膨大な相談件数に対して、よりそいホットラインは、地域コールセンターを35カ所に設置。
NPOなど400を超える民間団体と連携して、約1200人の相談員を配置しました。
寄せられた相談は、就職、子育て、いじめ、金銭、暴力、自殺など多岐にわたります。
特別な知識が必要な相談には、弁護士や医師などの専門家が対応します。
英語をはじめ中国語、韓国語やタイ語など外国語にも対応しているそうです。
更に、相談員を支えるコーディネーターが配置されており、相談員が分からなかったことに答えたり、相談者に実際に会いに行くなど総合的な補助活動もおこなっているそうです。
即答できない相談にはきちんと調べて連絡することを基本スタンスにしていると、よりそいホットラインの遠藤智子事務局長は話ます。
相談を受ける側も学んでいくことで、1度つながった相談者との係わり合いをなによりも
大切にしたいとの思いが伝わります。
おそらく日本では社会的に孤立している人が、想像を超えるほど存在すると思います。
よりそいホットラインの相談内容を聴いていると、以前であれば友人や家族、親族などに相談できたことが、今では気軽に打ち明けられない状態になったことがわかります。
日本は、親密な人間関係を築くことが難しい社会になってしまったのだと思います。
このような状況のなかで孤立してしまった人を救うことができれば、よりそいホットラインの存在価値が生まれる。
遠藤事務局長はこのように主張します。
よりそいホットラインのキーワードである「つながり」という言葉を聞いた時に、私の頭に浮かんだことがあります。
阪神淡路大震災や中越沖地震のころから、私達はきずなという言葉を耳にするようになりました。
東日本大震災の際も、マスコミを中心に「きずな」という言葉が頻繁に使われました。
そのせいか、多くの人達も気軽に「きずな」を口にするようになったと思います。
もちろん、大抵の人は「きずな」に真摯に取組んでいると思いますし、「きずな」の力によって、大勢の被災者が救われたことも事実です。
しかしこの風潮に、私は疑問を覚えました。
「きずな」という言葉のなかには単に助け合うためのお互いの心情という意味だけでなく、「人を決してみすてない」と同時に「人を最後までみまもる」という意味が言霊のように宿っていると、私には思えます。
「きずな」という言葉は農耕民族である日本人には身体の奥底に染み付いた感覚ではないかと思います。
この言葉が災害が発生したときに使われはじめたことと、被災していない人と人との関係が希薄になってしまった都会に住む誰もが安易に口にすることに、違和感を覚えてしまうのです。
よりそいホットラインでは、どこにも相談できずにこまっている人や解決のいとぐちがわからない人などを、「決してみすてない」というサポートにより「つながる」というキーワードを通じて解決策を考えています。そして確実に成果をあげています。
よりそいホットラインの社会的包摂サポートという新しいシステムは、まさに「きずな」という言葉そのものです。
人と人のつながりが希薄になってしまった現在、よりそいホットラインの価値は大変に大きいといえます。
今後のよりそいホットラインの活動に、大いに期待したいと思います。
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外国人介護福祉士外語句外国人介護福祉士 [鎌倉つれづれ文]

NHKテレビで、外国人が介護福祉士を目指す記録番組を見ました。
去年3月、全国で36人の外国人介護福祉士が誕生しました。

契機となったのは、2008年日本とインドネシアで結ばれた経済連携協定EPAです。
EPAの目的は、自由貿易の促進と人的交流です。

人的交流の主なものとして介護福祉士と看護師をあげることができます。
EPAにより受験生を受け入れているのは、現在、インドネシアとフィリピンです。

2008年、104人のインドネシアの若者が介護福祉士を夢みて来日しました。
介護福祉士は、認知症や寝たきりの方を知識と技術で支える大切な仕事です。
この試験を受験するためには、介護業務の経験を3年以上経験する必要があります。
介護や医学の専門用語から介護保険制度まで、幅広い知識が求められます。
不合格の場合は、帰国しなければなりません。

ただし、2008・9年に来日した人は、1年間の滞在延長が認められました。
しかし、それ以降のひとについては、いまだに滞在期間の方針が決まっていません。

番組では、フィトリさんという23歳の女性を取材しました。
彼女は半年間の日本語研修後、仲間と4人で特別老人ホームに派遣されました。
もちろん4人は、通常の介護業務以外に受験勉強にも励まなければなりません。
特別老人ホームのベテラン職員である西岡義弘氏が、4人の育成を任されました。
彼は、日本語の基礎から介護の基礎学習、そして最終的な目標を合格に定めて、受験生と強い絆を築き上げていったのです。

ところが外国人の介護福祉士を育てるこの制度には、ある問題が指摘されています。
それは、受け入れ施設にかかる大きな負担です。
介護福祉士の育成費は、1人、800万から1000万かかるといわれます。
国からの補助金は、その10分の1程度です。
そのうえ受験者の指導法やカリキュラムについても、国は施設にマル投げの状態です。
当初受け入れに積極的だった施設も、その数はピーク時の半数以下に減少しました。
施設側は、国にもっと受験生のサポートをするように要望しています。

3月の合格発表の結果、フィトリさんと親友のヤギさんの2人が合格しました。
合格した2人は、介護福祉士として日本で働くことができます。
不合格だった2人に対し西岡氏は、再受験を強く勧めました。
なぜならば、彼等は既に施設に欠かせない人材になっていたからです。
しかし、そのなかのソニンさんは、両親が病気のため帰国することを選びました。
これは、彼が悩みに悩んだすえの結論です。

ソニンさんの苦労を知っている西岡氏は、彼の気持ちを尊重しました。
日本の試験制度について西岡氏は、「日本語を初めて学ぶ外国人が資格試験に合格することは、至難の技といえます。

一方、日本の介護現場に人材が不足していることは誰もが知っていることです。
意欲あふれる若者が3年という時間を言葉も生活習慣も違う異国で過ごし、たった一度の試験に失敗して意気消沈した姿で帰国することには、憤慨にも似た感情を覚えます。
国は試験の点数だけを合否の基準にするのではなく、現場での介護の様子や態度も考慮する総合評価で、合否を判定して欲しい」とうったえます。

最近は、西岡氏の考えに賛同する施設や団体が増えてきました。
例えば、ダガールサポーターズ(インドネシア人看護師の支援団体)の共同代表で、神戸市看護大学助教の益加代子(えきかよこ)さんは、次のように話します。
「外国人看護師国家試験の所轄は厚生労働省にあります。
しかし、厚生労働省は、EPA協定の自由貿易に重きをおき、人的交流については配慮が少ない傾向にあるといえます。

現在の日本社会では少子高齢化がすすみ、看護師不足は深刻な問題です。
将来もこの少子化の傾向は続き、看護の担い手もより減少すると思われます。

これまでケアの場所は病院か主でした。
それが今では、在宅ケアに移りはじめています。
つまり、ケアに携わる人の需要はますますたかまっていると言えるのです。
東南アジア出身の看護師には、患者との関係を大切にする姿勢が感じられます。
特に高齢者を尊重することは、日本人看護師から高く評価されています。
だからこそダガールサポーターズは、インドネシアの方に介護や医療の現場で活躍してもらいたいと考えているのです。」

そこでダガールサポーターズは、受験生の意見を政府に提言することにしたのです。
難しい漢字にフリガナをふったり、病名を英語表記にする要望は既に認められました。
また、試験時間が日本人と一緒だと足りないという意見が多いので、試験時間の延長を
要望し、これも実施されるはこびです。

現在の規定では2008・9年に来日した人を除き、3年経って合格しないと本国に帰らなければなりません。
遠い異国で国家試験を外国語で合格するためには、3年では不十分だと考えられます。
また合格者に対するサポートとして、会話や日常生活の支援も必要になります。
ダガールサポーターズが発足当初から重要視し、真剣に取組んでいたことに、滞在期間の延長があります。
中国や台湾でも看護師不足がすすんでいるといわれています。
これら看護師不足の国が外国人看護師を採用し始めたら、人材の争奪戦になるかもしれません。
世界で最も高齢化の進んだ日本としては、介護や看護の場が働きやすい環境であり、いきいきと働ける場にしていく必要があります。
その仕組みを作っていくことが、私達ダガールサポーターズの使命だと思います。

外国人介護者、看護者の受け入れにあたっては、日本の側にも大きな課題があります。
四方を海に囲まれた日本では、伝統的に外国人を強く意識してしまいがちです。
この傾向は高齢者の方が強いと考えられます。
英語に対するコンプレックスも一因でしょう。
言葉の壁を取り除くことは非常に難しい問題です。

このような問題を解くカギは、如何に日本語や日本文化を理解してもらえるかではないでしょうか。
高齢者の心に寄り添う介護や看護の原点は、ここにあるような気がします。
世界中のどの国も体験したことのない急速な速度の高齢化を迎えている日本にとって、介護や看護に従事する人材を確保することは避けることができません。
介護や看護の資格志願者を海外から受け入れている施設、またその志願者を支援している団体、そして政府が意見交換しながら、日本で活躍できる外国人介護福祉士や看護師を育成する制度を完成させることが重要だと私は思います。

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新たな代読サービス [鎌倉つれづれ文]

四月十五日、TBSラジオ「人権トゥデイ」の話に興味を持ちました。

四月から、ある無料サービスが東京日比谷図書文化館ではじまったそうです。
高齢者や知的障害者、そして視覚障害者を対象にした文字の代読代筆をするサービスです。
これまでも代読サービスは、数は少ないですが、図書館のボランティア活動として
提供されていました。

今回のサービスの特徴は、従来の代読サービスに代筆も加え、更に代読の対象範囲を
広げていることです。
NPO法人大活字文化普及協会の主催者であるタナカショウジ氏は、ご自身が視覚障害者で、
困った体験から、このサービスを思いつきました。

今迄の代読サービスでは、利用者が日常必要とする銀行の情報や個人宛の手紙など、
プライバシーに配慮しなければならない物に対しては読む人がいなくて、タナカ氏も困ったそうです。
しかし新たな代読サービスでは、利用者は完全予約制で、テーブルを挟んで対面に座り、
ボランティアが話を聴きながら、丁寧に代読や代筆を行ってくれます。
ここを利用した視覚障害者は、「家族にもちょっと知られたくない個人情報も守られるので
大変助かります。」と感想を述べました。
このサービスは利用者に好評で、サービスの場所を増やして欲しいとの声があがっています。

高齢者や障害者が情報を知ることは、本来社会が用意すべきことだと思います。
財産を管理する後見人制度では、プライバシーの支援まで手が届かないはずです。
「知る権利」を行使するということは表現する力を得ることに繋がり、私達障害者自身も
社会参加できる一助になるのではないかと思いました。
katakuri.jpg
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注目の車椅子 [鎌倉つれづれ文]

三月十九日、NHKの「サキどり」というテレビ番組を大変興味深く見ました。

内容は、足こぎ車いすが脳卒中患者に劇的な効果をあげるというものでした。足こぎ車いすとは、麻痺患者がペダルを踏んで前に進むリハビリ用車椅子のことです。片足しか動かない脳卒中患者でも乗ることができるので、足こぎ車いすによって足が動くようになり、笑顔を見せる姿に関係者も目を見張ります。

足こぎ車いすは、医師であり、かつて東北大学の教授であった半田康延氏が考案したものです。
半田氏は、「患者さんが楽しんでリハビリ効果を得るのが一番です」と目を細めます。しかし、足こぎ車いすは好評価の反面、八十キロと重た過ぎるのが欠点でした。そのため実用化されず、研究室で、眠ることになりました。

十数年後、この車いすに注目したのが鈴木賢之(すずきけんじ)氏です。医療機器メーカーに勤務していた鈴木氏は、足こぎ車いすの軽量化に挑みました。そして、足こぎ車いす開発会社を設立し、約五十社にこの話を提案しました。どの会社からも断られ、この話を引き受けたのは一社だけでした。
引き受けてくれたのは、千葉市にあるオーエックスエンジニアリングというパラリンピックの選手にも信頼される会社でした。この会社の石井重行社長自身も、車椅子利用者だそうです。
数ヶ月後、オーエックッスエンジニアリングは、大手も断ったこの仕事を見事に成し遂げました。八十キロの車椅子が、一般の車椅子と同じ十二キロまで軽くなったのです。左にしか曲がれない欠点も、レバー操作で右にも曲がるよう改善されました。

更に、 この車いすに惚れ込んだ台湾の商社マンの陳子賢氏が量産化を申し出ました。この提案は月二百台が限度という石井社長にとって、またとない話でした。番組では、一週間のあいだ脳卒中の後遺症に苦しむ四人の患者に、毎日二十分以上、足こぎ車いすを使ったリハビリ実験を行いました。その結果、リハビリ実験に参加した四人全員に回復の兆しがあらわれました。

四人のなかには、寝たきりで足が動かなかった人も含まれます。その寝たきりになってしまった方の足の筋肉が動くようになったのです。この好結果について、「医学的な理由はわかりませんが、赤ん坊のわきの下を持って抱き上げた時、赤ン坊は、無意識に足を前に出し歩こうとする原始歩行という動作をします。リハビリ患者にもこの原始歩行が現れたのではないかと考えます。」とリハビリ専門医の関和則氏は分析します。

番組では、足こぎ車いすは一人の医師の発想が何人もの熱い情熱の連鎖により、量産化までこぎつけた連係力の賜物だ、と評価していました。この番組を見た麻痺のある人なら誰でも、この足こぎ車いすを試したいはず。
なによりも、最後に利用する患者自身に有益な機具であってほしいですからです。
今後も素晴らしいリハビリ機具が誕生し、私達障害者の生活向上の幅が広がれば良いなとつくづく思いました。[わーい(嬉しい顔)]
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